史跡と物語

   ~神代から中世、近現代まで~


 《久女と橡の木》

明治・昭和期の女流俳人・杉田久女(すぎたひさじょ)は兄の赤堀月蟾に俳句の手解きを受け、「ホトトギス」に投句、高浜虚子に師事しました。

杉田宇内と結婚後も作品を発表し続け、昭和6年、40歳の折に東京日々新聞・大阪毎日新聞両社主催の「日本新名勝俳句」に応募した

『谺(こだま)して山ほととぎすほしいまヽ』の句が帝国風景院賞(金賞)を受賞、久女の名声は全国に響き渡ります。 同じく出品して銀賞に選ばれたのが

   とち                     おろし

 橡の実のつぶて颪や豊前坊

 

の句です。樹齢約200年の橡の木は久女の詠んだ往時のように実を落とすことはありませんが、激動の人生を歩んだ久女を偲ぶように、ぽとりぽとりと実を落としながら静かに佇んでいます。

  《毛谷村六助》

豊前坊天狗にまつわる物語として毛谷村六助の話が伝わってます。

 

毛谷村六助は貴田(木田)孫兵衛といい、彦山麓の毛谷村(現在の中津市槻木)に生まれ、加藤清正の家臣として文禄・慶長の役で活躍し勇名を馳せた武将です。

豪力で知られ、太閤御前相撲で三十五人抜きをして召抱えられるなど、その強さから様々な伝説が生まれ、英彦山には豊前坊天狗から剣術を授かったという話や六助が使用した鉄砲・鉄棒が伝えられております。

 

こうした剛勇ぶりから「彦山権現誓助剣」という時代物の題材となり、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として広く知られるようになりました。

また、毛谷村には六助の墓が建てられ郷土の英雄として親しまれています。

毛谷村六助の鉄砲・鉄棒

(英彦山修験道館蔵)

  《虫札の文字》

高住神社の御札のひとつに「虫札」があります。

 

英彦山麓一帯には広く害虫防除のために虫札を用いる風習があります。これを竹にはさみ、田圃の水口や畦道などに立て、害虫が退散するのを祈願するものです。

当神社の虫札はいわゆる“神代文字”で書かれているとされ、一説には


『はらひたつる ここもたかまのはらなれば はらひすつるも あらいそのなみ』

※解釈

(ここも神様のおられる神域の内である。おまえのようないたずら者はこのような清浄な神域において、いたずらしてはならない。早くここを立ちのきなさい。さもなければ荒磯の荒浪の中においやってしまうぞよ。それだからここを早く立ち去りなさい。)


という祓いの神歌が書かれていると云い伝えられていますが、時代的には江戸中期以降の作とされています。


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